私とインターネット
はてなインターネット文学賞「わたしとインターネット」
海外に住んでいる私は、年に一度2週間ほど日本に帰る生活をしている。
そんな私にとって、インターネットは、ドラえもんのどこでもドアであり、タイムマシーンでもある。
インターネットが普及する前は、帰国のたびに、流行語がわからず、浦島太郎状態だった。服も髪型も周りと違っていた。
インターネットが普及してからは、日本での情報をリアルタイムで画像と音声と共に手に入れることができるようになった。
夕方職場から帰宅後、パソコンを前にして、日本の情報を見ながらひとり晩御飯を食べる。さみしそうに見えるかもしれない光景だが、本人にとっては至福の時間。
インターネットは空間だけでなく時間も埋め合わせてくれる。過ぎてしまった時間は現実世界では取り戻せないけれど、インターネットの世界では取り戻すことができる。私はインターネット普及前に流行った日本のドラマを今見ることによって、失った時間を埋め合わせようとしている。
インターネットによって、バーチャルとリアルの両方が私の日常になった。私はその両方から、外の世界につながっているという安心感を受け取り、孤独と向き合っている。
私はインターネットか普及する前に、失うものを覚悟して日本を飛び出して行ったけれど、今海外移住する人は、もっと軽い気持ちで踏み出せるのだろう。
現在コロナで一時帰国中。インターネットにより、帰国第一日目の新鮮さと喜びが減ってしまったのは事実。でも一時帰国最終日の胸の痛みも減った。
インターネットありがとう!
車窓
電車に乗った。ボックス席の車両だった。
進行方向に向いている席から埋まっていく。他に空いていなかったので、進行方向を背にして座った。
ここから見る世界はすべてが遠ざかっていく世界。人も車も建物も、どんどん小さくなって、最後には視界から消えていく。
向かいに座っている人は、全てが向かってくる世界の中にいる。小さな点が大きくなっていって、実物大になった時に、一瞬で消えていく世界。
あなたはどちらの空間移動が好きですか。
次々と視界から消えていく景色を見ていたら、次の駅で降りた時に、いつもより長い距離を移動した気持ちになった。たった数分だったけれど、ここに来るまでの間に、たくさんのものを置いてきた感覚があったから。
スマホをではなく、車窓から外を眺めるのも、たまにはよいものです。
お付き合いいただき、ありがとうございます。良い一日になりますように。
はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」
はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」
今日からブログ始めました。でも何を書いていいのかわからない。そう思っていたところ、お題を見つけたので、書き始めてみます。
最初の一歩が踏み出せないビビりの私。今日も、外出する!と決めて着替えを済ませたけれど、やっぱりやめてパソコンに向かう。理由は「外が暑そうだから」。後付けの理由で自分を納得させてみるのだけれど、モヤモヤ感が残る。
つまらない日々を過ごしていると思っているから、人に話せるようなこともなく、友人との連絡も億劫になってしまう。取り残されている感、MAX。
朝目が覚めると理由もなく心が重くて、昼間は退屈な日常を生きている自分を責めてしまう。夜になると、今日はもう何もしなくていいんだと思って、安心する。寝る前に夜空を眺めるのが、一日で一番ほっとする時間。その繰り返し。
子供のころからそうだった。それが嫌で、ビビりの自分を奮い立たせて、いろいろやってみた。遠くに行きたくて、海外に住んだけれど、場所が変わっても、話す言葉が変わっても、感情のパターンは同じだった。
今、コロナのお蔭で一時帰国中。神様がくれた日本での時間。だから余計、何か特別なことをしなくてはと、気持ちが焦る。
そんな自分を変えたくて、何でもいいから新しいことをしようと思って、今日ブログを始めました。何で今日から? それは今日梅雨が明けてしまったから。雨は外出できない理由になって好きだったけれど、それも今日まで。
未来になって、今日が過去になった時に、今日は心に残る日になっているのでしょうか。
そうであってもなくても、今日のところは勇気を出して、この文章を投稿します。
お読みいただき、ありがとうございました。